できない言い訳
「そんな言い訳、いいわけ〜?」
いいわけ、ない!ない!!
2015年もはや残すところ2日。ふりかえると、反省がたくさんある。
職場環境が変わったとか、通勤に慣れないとか、そんなことは理由にならない。
自分がやろうと思えば、「本を読んでいて、乗り過ごしそうになった」ぐらいで、諦めはしないのだ。
ようは、自分にあまいのだ。
ムリしない生き方。それでいいのか?!
どこかで、「無理をしてでもやること」「やり通すこと」がないと、何も得られない気がする。
ということで、来年はもっとYOMI・KANGAE・KAKUことをしたい。
もっとSIGOTO以外に自分を充実させる時間を持つ!
他にもあるけどね。。。
自分に打ち克つ!!こともしたい。
ジムにも行きたい!!
シンプルに生きたい!!
余分なものはそぎ落としてー。
自分の大切だと思うもの。自分の好きなものに時間をさく!
1日24時間という限られた中で、どう時間を使うか?
意識的に生きないともったいない!
なんか支離滅裂なひとりごと・・・相変わらずですみません。
追悼 山崎 豊子展〜不屈の取材、情熱の作家人生〜
過日、某百貨店の催事場で行われた山崎豊子展に行った。
とても良かった。そして圧倒された。
取材ノート、取材テープの量たるや半端ない。人生をかけている。直筆の構想メモや取材メモなどから、熱を感じた。細かく小さな字。字が連なっていることから、頭の中に浮かんだことを素早く書いているのか。
また、戦争中の「日記」。これがまたすごい。本音が書かれているので、読みごたえがある。(少々罪悪感を感じずにはいられないが。)
数々の名作を生み出していられるが、そのテーマの着想が、ご自分の生活から生まれているというのが心に残った。
例えば「白い巨塔」ならば、ご自分が病気で入院した大学病院での体験から。
例えば「華麗なる一族」ならば、年末年始に志摩の某ホテルに宿泊して執筆している際に、レストランに毎年顔を見る一族が居て、その面子に違和感を覚えたことから、調べ始めテーマが決まったとのこと。
また、吉野を舞台にした小説の冒頭に「桜が咲く(散る?)」シーンを書くために、秘書の方に吉野まで桜の映像を撮るなど取材させている。人物を描くのならば、個人の年表を作る。家を描くのならばその間取り。土地を描くのならば、大きな地図に建物などを記入している。
さすが、元新聞記者!
事実に基づきながらも、山崎氏の想いや理想が小説の中に織り込まれ、いつのまにかモデルとされている人の生き方にまで影響を与えている。モデルご本人がまるで、山崎氏の理想像に近づこうとしているかのようにー。
まだ、山崎氏の著作は全部読み切っていない。読む愉しみが残っている。
だが、それを読み終わると、もう次はない。
ゆっくりゆっくり味わいながら読んでいきたい。
遠藤 周作著 「沈黙」 新潮文庫
実は遠藤周作氏の著作初読みです。。。
すごく面白かった!!物語世界に引き込まれ、一気に読みました。
テーマは重いです。本書で扱われている事件や人物の大方は史実にもとづいているという。なので一種の歴史小説ともいえます。
予備知識なしに本書を書店から選び(紫色のプレミアムカバーに惹かれた!)読み始めたので、<沈黙ってなに?>という疑問を終始抱きながら読んでいきました。著者がキリスト教信者であるという知識だけをもってー。
……読み進めていくと、途中でタイトルの『沈黙』の意味がわかりました。
そうか、そうか、そういうことだったのか!!
裏表紙に書いてある文をもう一度読み直してみると……書いてあったんですね。(以下引用)
<島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制のあくまで厳しい日本に潜入したポルトガル司教ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、<神の沈黙>という永遠の主題に切実な問いを投げかける書下ろし長編。>
……読み飛ばしていたというか全く腑に落ちていなかった。
歴史的事実として知ってはいることでも、こうして物語として読むことによって、ぐっと「昔の事実」が現在の「自分の生き方」に迫ってくる。
氏の文章の力がすばらしく、眼前に世界が開けて見えるようでした(匂いも感じられるくらい!)。自分が主人公の司教ロドリゴとなり、問題をつきつけられ考えさせられました。「苦境」の立たせられ方がはんぱなく、自分を極限まで追い込み、その苦悩を書いていて、本当にすごい作品です。。。
しかも、この司教ロドリゴが「自分ひとり」が苦悩するだけでなく、他人(過去に日本に伝道に来て“転んだ”フェレイラ師)の目を意識した自分という視点もあるので、さらに苦悩が深まりそれを描いているのもすごいです!(ロドリゴの来日の目的・動機から考えるとこんな自分の姿は見られたくはないでしょう。。。)
なんかまとまらず乱文すみません。
心に残った文章を覚書
<罪は、ふつう考えられるように、盗んだり、嘘言をついたりすることではなかった。罪とは人がもう一人の人間の人生の上を通過しながら、自分がそこに残した痕跡を忘れることだった。>
河合 隼雄著 「こころの読書教室」 新潮文庫
河合氏の本をぼちぼち読んでいこう…と思っていたのだが、一気読み!
やっぱり河合氏の本は面白い。いい意味で刺激を受ける。
本書読了後、読みたい本がまた増えてしまった(苦笑)。
本書は、4章立てになっており、各章5冊の課題図書(まず読んでほしい本)が挙げられている。なので本書の中で、4×5=20(冊)の本が紹介される。それらについて河合氏がどう読むかが述べられている。また、課題図書以外に「もっと読んでみたい人のために」という本が、これまた各章5冊紹介されているので、4×5=20(冊)。ということで、合計40冊の本が河合氏によって挙げられている。
……どれも読みたい!!
中には、読んだことのある本もあるのですが、再読してみたくなりました。河合氏の視点を取り入れながらー。
挙げられてる本は、物語、児童文学、絵本、民俗学、心理学、哲学など様々。どんな視点で挙げられているかと言えば、第一章が「私と“それ”」。第二章が「心の深み」。第三章が「内なる異性」。第四章が「心ーおのれを超えるもの」。※第一章の“それ”とは、無意識を指す※
臨床心理学者であった著者なので、全ては「こころ」に通じています。(これもタイトル通り!)
心に残った箇所を覚書。
<昔話は、わりと単純な話なのに、なんであれが残るのかというと、あれは単純化されているけれども、心の非常に深いところとつながっていて、長ーい歴史の中で洗練されて残ってきているだけに、単純そうに見えながら、深いところとかかわりがあるんだと、私は思っています。>
<まとまっている自我という世界だけで完結しているんじゃなくて、もっと深い世界がある。この深い世界へ降りていくときに、道化とかトリックスターというのがすごい大事だということを、僕らは臨床心理学の問題として学んでいたのです。>
<王様というのは、道化がいないと成り立たない。王と道化は対なんですね。><この道化というのは、お芝居には欠かすことができません。昔の芝居を見ると、必ず道化が出てきて、メチャクチャやってるように思うけど、そのことによって話が展開するんですね。カチッと出来あがっているものが展開しよう思ったら、どこか壊さねばならない。あるいは変えねばならない。しかし、「うちはダメだから」とは言えないわけですね。そこが難しいんで、「うちはちゃんとしておりますが、道化のバカが変なことするから……」と言いながら、だんだん変えていく。道化はそういう役割をしています。><だから、山口さんは、両義性ということを強調します。ものすごいバカなこと、「もう、悪いやつや!」という面と、ものすごくいいこと、意味のあること、その両方をやるやつがいないといけない。だから、道化というものはすごく大事なんだと。>
※山口さんというのは、『道化の民俗学』を書かれた山口昌男氏のことを指します※
<道化は、下手すると殺されるんですよ。命がけの仕事なんです。また、王様は都合の悪いときは、「俺はやってない。あいつがやったンや!」言うて、道化を殺したりするんですね。道化というのは命がけで、うまくいけば大成功、失敗したら殺される。もっとつまらんときは、ただ悪戯してるだけか、ただオモロイだけ。><道化というのは、赤と白を半々に近づけられた服を着たりしていますが、それは、見方によっては赤に見えるし、見方によっては白に見えるというふうに、角度を変えて物事を見てみたら、ぜんぜん違うじゃないかということをわからせるためです。>
最後にもう一つ。ルーマー・ゴッデン著『ねずみ女房』についてのくだりからー。
<ほんとうに素晴らしいと思うのは、「あれが飛ぶことなんだ!わかった!」というのと、「ハトがいなくなる」というのとが一緒なんですね。>
<人間ていうのは、ほんとうに大事なことがわかるときは、絶対に大事なものを失わないと獲得できないのではないかなと僕は思います。何かを得るために何かを失わねばならない。失うのが惜しかったら、やっぱり獲得できない。>
『ねずみ女房』も再読決定です!
河合 隼雄著 「河合隼雄自伝 未来への記憶」 新潮文庫
帯に「生きるヒントに満ちた唯一の自伝」とある。
まさに、その通り!。
今まで河合氏の著作を読んできたが、ご自分のことをあまり語ったものはなかったなということに本書を読んで気付かされた。河合氏の本の内容に興味・関心があり、河合氏の人となりに興味がなかった…というわけではないのだが、内容が面白いのでそちらに引き込まれてしまい個人的なことはあまり考えもしなかったというのが実状だ。(断片的にご自分のエピソードや体験を語ることはあり、それを読んではいたのだが)。
けれども、ずっと心の中で引っかかっていたことがあった。
というのは、かれこれさかのぼること○十年。学生のころ氏の書いた『コンプレックス』(岩波新書)という1冊の本との出合いがあった。わかりやすく、非常に納得できるものであった。それからずっと氏の著作は主に単行本で買って読み続けてきた。(一時期読めない時期あり)。
なぜ、これほどまでの人が(略歴を見ても申し分ない!)「コンプレックス」というものが、よくわかるのだろう?とずっと疑問に思っていた。(しかもかたい文章ではなく非常にわかりやすく書いてある!)
その疑問が本書を読んで解けました!するするとー。
そして、河合氏ご自身もコンプレックスがあったことが明かされます(そんな大げさなことではないか…)
生い立ちや生育歴を垣間見ることができ、子育ての参考になったり、失礼ながら笑ってしまう場面もあったりで、本当に興味深い本でした。氏の懐の深さみたいなものは、このような体験・経験があってこそなのだな、とつくづく思わされました。本当に本当に凄い方です。
「一生、高校の教師として生きていく」と就職した青年が、どうしてアメリカに留学し、その後スイス・ユング研究所に行くことになったのか。またそこでの格闘ぶりは本当に引き込まれました。穏健な河合氏もやるときゃやるんだ!と思ったりもしました。
河合氏の著作で読んでいないものが書店で発見できたので、今後もぼちぼち読んでいきます!
久しぶり過ぎて。。。
自分のブログにログインするのに、ドキドキしてしまいました。
あまりにも久しぶりなので、パスワードなんだっけ…と。
無事1回でログインできましたが。
新しい環境に慣れるのに、かなり時間を要しました。
特に、通勤ルートが変わったことにより、今まで愉しみだった通勤電車の読書の時間が激減。
本の世界に入ってしまったら最後、おそらくは、降りるべき駅を乗り過ごしてしまうこと必至。なので、あえて本は開いていません。悲しいです。
眼前に現れる風景を、ただただぼんやりと眺めています。
今までは、高層マンションとかスカイツリーを見ていましたが、最近では、遠くに見える山なみとか大きな川とか水がめ(人工の湖?)を見るのが新鮮です。
通勤電車はとりあえず、頭を休める時間と心得てあきらめモード。
さてさて、自分の課題はどうやって読書の時間をつくるか?です。
入浴後、就寝前に何分か読むというのが理想なのですが、自分の場合ベッドに横になったら最後、電気をつけたまま意識はもうありません。
書店でピックアップした本3冊持って、珈琲を飲みながらそれを読む!というのも好きです。
夏と読書とアイスコーヒー♪
涼しい部屋でゆっくり読書三昧したいと夢見る今日この頃です!
今は、猛暑の中をあっちこっちと出歩いているのが現状ですが。。。
ガーベラのひとりごとにおつきあいくださり、ありがとうございました(ぺこり)