かこさとし著 「未来のだるまちゃんへ」 文春文庫

長年の謎が解けた。

なぜ、著者のような経歴の人が子どもの本を書くようになったのか?

なぜ、これほどまで子どもを惹きつける(大人も!)本が書けるのか?


大昔の話で恐縮だが、自分が3〜4歳ぐらいの時のことである。『はははのはなし』という絵本を保育園で読み聞かせをしてもらった。その絵が印象的でよく覚えている。グレーの地に大きく歯の絵が描かれていた。子どものイラストもとてもかわいかった。(実際の本と記憶が違っていたらごめんなさい)。小さいながらも「歯ってそういうしくみなんだ」みたいなことを思った。成人してから、かこ氏の本だということを知った。本当にインパクトのある本だったという記憶だけは確かである。



また、かこ氏といえば『からすのパンやさん』。これは、異国に滞在中子どもに読み聞かせをしていたのだが、子どもが大好き。特にからすの一家が作ったたくさんのパンの絵が楽しくて、「○○パンがある!」「△△パンもあるよ!」と見つけるのが楽しい。日本に帰国したら「パンを食べる!」と夢見ていたぐらい。そして『どろぼう学校』。わくわくする話でひきこまれる。そして『だるまちゃんとてんぐちゃん』。これも大好き!とにかく絵がかわいい。やりとりが面白い。


かこ氏の幼少期の頃のこと。戦争に対する思い。子どもと真剣に向き合う姿。子どもから学ぶ姿。二足のわらじをはきながら、仕事もプライベートも手を抜かずに懸命にやっていること。後半になるにつれぐんぐん本書に引き込まれた。以下、心に残ったところを覚書。(以下< >は引用部分)


<書くことで、人はよく見る。よく観察して、その理由や裏面を分析しようとする。かくして僕は、メモ魔になりました。と言っても、子どもたちの前でメモばかりしていると警戒されるので、覚えておいて、あとでいないところで走り書きをするのです。>


<ウケようがウケまいが、出まかせのお話でも毎週一本か二本はやらないと、恰好がつかないので、なんとか彼らに観てもられるものをつくりたいとチャンスをうかがっていたのです。(中略)何かちょっとハッとするような設定でやれば、ちゃんとついてきてくれるわけです。つまらなければ、ちゃんといなくなり、よければいて、子どもたちは、僕にとって最高の教師となり、このうえなく正直な批評家となりました。>


※彼らというのは、著者が通っていた(今の言葉でいうとボランティア)川崎のセツルメントの子どもたちのことです※(ガーベラ注)


<子どもというのは言葉の持ち合わせがそれほどあるわけではありませんから、きれいに説明しろと言っても、難しいんですね。じゃあ、何も考えていないのかと言えば、決してそんなことはない。言葉じゃうまうく言えないだけで、胸の中にいろんな思いを抱えているものです。>


<いくら面白おかしい話を描いたところで、人間が描けていないと、子どもたちは承知しないんですね。きれいな色やかわいらしい絵だけで気を引こうとしても、そんな小手先のことでは面白がってはくれません。>


<みなさんは過分にも絵本作家などと言ってくださったりしますが、僕は、その出自をたどれば、教育の専門家でもなければ、児童文化を学んできたわけでもない。セツルメントという子どもたちの現場にいて、子どもへのメッセージを絵入りで示しているうちに、たまたまそうなってしまったという例外の中の例外、意外な偶然の落とし子のようです。しかし、こうしてたどってみると、子どもたちの現場にいたことが、僕の作品づくりの土台になったことは間違いありません。(中略)目の前にいる、この川崎のセツルメントの三十人とか四十人の子どもたちに届くものがつくりたい。ただ、この一念で続けてきたのです。>



<口はばったいことを言うつもりはありませんが、絵本なんて子ども相手の仕事だと見くびったら、そんなのは子どもたちにすぐ見破られてしまうのです。子ども相手だからこそ、むしろ小手先の技やごまかしは通用しない。人間対人間の勝負。僕はだからずっとそう思ってきました。「自分はこう思うけれど、これでどうだ」と、こっちも自分の人格や培ってきた経験や思考を精一杯さらけ出してこそ、子どもも応じてくれるわけです。それには、やはり僕自身が、会社でも、人々にも、世間にももまれて、一人前の大人として通用する人間にならなければならない。僕にとって会社勤めは、そういう社会人として、人間としての修業の場でした。>


楽しいお話というのは、筋を知っていても何度も読みたくなる。何度も読んで欲しい。語って欲しい。「ここだ、ここだ、ここで○○が出る!」という待ち遠しい気持ち。そしてついに「でたー!!」というわくわく感がたまらない。


四十年ぶりに「からすのパンやさん」の続編が出たそうである。今から手に取るのがわくわくである。