コミュニケーションのプロセス

コミュニケーションにもプロセスがある。
そのプロセスをふっとばしていきなり手をさしのべられるというのは、好意にしろそうでないにしろある種の抵抗感がある。

なにかへんだという違和感を抱えつつも、その人の手中に納められてしまうという経験はないだろうか?

私は先日それを体験したのだが、2日間にわたる一連の出来事を反芻するたびに腹立たしくなってくる。
それは第一に自分に対して。第二に相手に対してー。


……なぜ、初めに確かめなかったのか?相手の言う用件をー。


相手の言葉の中に自分が解釈したい意味をこめてしまったのが一番の敗因だろう。要するに自分の勝手な思いこみと思い上がりである。


そして、第二に相手のコミュニケーションのやり方に対してー。

相手が「〜したい」という依頼を受けてある約束したのだが、いつのまにか自分のほうが相手の要求をのみ相手に合わせている。まったくおかしな話である。そのおかしさに気づいたとたん腹立たしさがじわじわと自分を襲ってきた。


それと同時になぜそんなことが起ったのか?


そんな疑問がふつふつとわきおこってきた。その疑問を考えていたらひとつのことに思い当たった。

…なので、その仮説のもと自分も相手に対して実行してみた。


すると。なんと。効いたのである。パンチが!


それは相手が自分に対して行った行為の焼き直し。図らずも、相手とのコミュニケーションでそのやり方を学んでしまったのである。

それはー。

ー相手に猶予を与えず、自分の脚本を相手に押しつけるー

最低のコミュニケーションである。

しかし。
2敗している自分にとってこれ以上負け続けることはできない。自分の生存(大げさか?)にかかっている。自分の身は自分で守るしかない。

いっしゅん相手がひるんだのが感じられたが、そこを一気に攻め込む!

……しかし。完全勝利とはいかなかなかった…。

なぜなら、結果的に相手に大切な情報をひとつ与えてしまったからである。

そんな反省をいだきつつも自分も得た情報はある。それが貴重なものなのかは判断する余地はないがー。


この教訓を生かしてこの先あってほしくはない闘いに備えたい。