デザイン 原条 令子 『ウィリアム・モリスの世界 100枚レターブック』 バイ インターナショナル

いつも行く書店の、いつもは通らない棚の前を通ったらー

思わぬ発見があった。

おおー!!こんなものがこの世に存在したのか!!

これを手に取る前に、『大人の塗り絵 ウィリアム・モリス』(タイトルうろ覚え)を見ていた自分。

塗り絵は長続きしない気がする。モリス好きの自分だが…と思い、棚に返したという経緯がある。


なので、この本が書棚にあるのを発見した時は心が躍った。


帯に「モリスのクラシカルで美しいパターンの紙を 88柄 100枚収録 1枚ずつきれいに切り離せます」とある。




どれだけの人がこれを切り離すのだろうか(ぼそり)

今更ながら『君の名は。』

映画を観るという目的ではなく、違う目的で本作品を観た。
昨年かなりヒットしていたが、特に興味もなく今まで過ごしてきた。


観終わった感想をひとこと。

「大ヒットするには、やはりそれなりの理由があるんだ」


予想外に面白かった。途中からぐんぐんひきこまれた。ストーリーの構成が巧み。映像がきれい。田舎の雰囲気、田舎の閉塞的な感じ。東京の街。都会の満員電車風景。新宿のビル群などため息がでるくらいリアリティがあり美しい。


現代版「転校生」じゃん!(大林監督「転校生」がわかる人は、人生長く生きてるヒトです(苦笑))

と軽い気持ちで観ていたら、途中から重くなってきたので驚いた。


観ている途中、自分自身が今「生きている」ということになぜか感謝した。


そして主人公(女)の祖母が言ったひとことが印象に残っている。


「夢というのは、大切にするもんだよ」(←もしかしたら違っているかも。すみません)


臨床心理士であり文化庁長官も務められた河合隼雄氏もユング研究で「夢分析」をしていましたが、「夢」というのは、意味があることのように個人的には思っている。いつも自分は忘れてしまうけれども。(昔は夢ノートをつけていたが。)


「偶然」とか「理由はわからないけど惹かれる」とか「なぜか気になる」とかいうことがある。理屈では説明できないことがある。この映画を観て、それらは説明できないけど、何らかの理由があるのかもしれないとつくづく思った。そんな「感じ」は、理屈より大切にした方がいいのかもしれないなどと徒然に思った。

時間を上手に使う

パッパパッパと動きたい!
洗い物(鍋など)をためない!
だらだら床暖で寝ない!

……家にいるとダメですね。自分に甘くなる。。。


よっぽど強い気持ちをもっていないと。もしくは、必要に迫られないと動けない。


「だらだらしていると、あっという間にトシをとってしまうぞ」という声が聞こえてくる今日この頃。


やりたいことがあるなら、今からやろう。今日からやろう。


シゴトで疲れているとか全部言い訳。

かこさとし著 「未来のだるまちゃんへ」 文春文庫

長年の謎が解けた。

なぜ、著者のような経歴の人が子どもの本を書くようになったのか?

なぜ、これほどまで子どもを惹きつける(大人も!)本が書けるのか?


大昔の話で恐縮だが、自分が3〜4歳ぐらいの時のことである。『はははのはなし』という絵本を保育園で読み聞かせをしてもらった。その絵が印象的でよく覚えている。グレーの地に大きく歯の絵が描かれていた。子どものイラストもとてもかわいかった。(実際の本と記憶が違っていたらごめんなさい)。小さいながらも「歯ってそういうしくみなんだ」みたいなことを思った。成人してから、かこ氏の本だということを知った。本当にインパクトのある本だったという記憶だけは確かである。



また、かこ氏といえば『からすのパンやさん』。これは、異国に滞在中子どもに読み聞かせをしていたのだが、子どもが大好き。特にからすの一家が作ったたくさんのパンの絵が楽しくて、「○○パンがある!」「△△パンもあるよ!」と見つけるのが楽しい。日本に帰国したら「パンを食べる!」と夢見ていたぐらい。そして『どろぼう学校』。わくわくする話でひきこまれる。そして『だるまちゃんとてんぐちゃん』。これも大好き!とにかく絵がかわいい。やりとりが面白い。


かこ氏の幼少期の頃のこと。戦争に対する思い。子どもと真剣に向き合う姿。子どもから学ぶ姿。二足のわらじをはきながら、仕事もプライベートも手を抜かずに懸命にやっていること。後半になるにつれぐんぐん本書に引き込まれた。以下、心に残ったところを覚書。(以下< >は引用部分)


<書くことで、人はよく見る。よく観察して、その理由や裏面を分析しようとする。かくして僕は、メモ魔になりました。と言っても、子どもたちの前でメモばかりしていると警戒されるので、覚えておいて、あとでいないところで走り書きをするのです。>


<ウケようがウケまいが、出まかせのお話でも毎週一本か二本はやらないと、恰好がつかないので、なんとか彼らに観てもられるものをつくりたいとチャンスをうかがっていたのです。(中略)何かちょっとハッとするような設定でやれば、ちゃんとついてきてくれるわけです。つまらなければ、ちゃんといなくなり、よければいて、子どもたちは、僕にとって最高の教師となり、このうえなく正直な批評家となりました。>


※彼らというのは、著者が通っていた(今の言葉でいうとボランティア)川崎のセツルメントの子どもたちのことです※(ガーベラ注)


<子どもというのは言葉の持ち合わせがそれほどあるわけではありませんから、きれいに説明しろと言っても、難しいんですね。じゃあ、何も考えていないのかと言えば、決してそんなことはない。言葉じゃうまうく言えないだけで、胸の中にいろんな思いを抱えているものです。>


<いくら面白おかしい話を描いたところで、人間が描けていないと、子どもたちは承知しないんですね。きれいな色やかわいらしい絵だけで気を引こうとしても、そんな小手先のことでは面白がってはくれません。>


<みなさんは過分にも絵本作家などと言ってくださったりしますが、僕は、その出自をたどれば、教育の専門家でもなければ、児童文化を学んできたわけでもない。セツルメントという子どもたちの現場にいて、子どもへのメッセージを絵入りで示しているうちに、たまたまそうなってしまったという例外の中の例外、意外な偶然の落とし子のようです。しかし、こうしてたどってみると、子どもたちの現場にいたことが、僕の作品づくりの土台になったことは間違いありません。(中略)目の前にいる、この川崎のセツルメントの三十人とか四十人の子どもたちに届くものがつくりたい。ただ、この一念で続けてきたのです。>



<口はばったいことを言うつもりはありませんが、絵本なんて子ども相手の仕事だと見くびったら、そんなのは子どもたちにすぐ見破られてしまうのです。子ども相手だからこそ、むしろ小手先の技やごまかしは通用しない。人間対人間の勝負。僕はだからずっとそう思ってきました。「自分はこう思うけれど、これでどうだ」と、こっちも自分の人格や培ってきた経験や思考を精一杯さらけ出してこそ、子どもも応じてくれるわけです。それには、やはり僕自身が、会社でも、人々にも、世間にももまれて、一人前の大人として通用する人間にならなければならない。僕にとって会社勤めは、そういう社会人として、人間としての修業の場でした。>


楽しいお話というのは、筋を知っていても何度も読みたくなる。何度も読んで欲しい。語って欲しい。「ここだ、ここだ、ここで○○が出る!」という待ち遠しい気持ち。そしてついに「でたー!!」というわくわく感がたまらない。


四十年ぶりに「からすのパンやさん」の続編が出たそうである。今から手に取るのがわくわくである。

久しぶりの更新

昔、違うところでブログを書いていた。そちらの編集画面で時々閲覧数などをチェックする。
今日も何気なくチェックしてみた。

……連日200超の閲覧数。

どんな記事を書いていたっけ?

書いた自分も忘れている。


今から10年ほど前に書いたものをいくつか読んでみた。
自分の感じたこと見たことが書いてあり、その当時のことが目に浮かんできた。

写真もつけておいたらなお良かったな。。。無いものねだりですね。


―文章で記録する―


初心に返って、ブログを書き始めようかと思っている今日この頃。


追記:ホロスコープ作成&読み解きが楽しい!

そういえば、自分は小6の頃に西洋占星術なるものに出会い、それ関係の本を読むのが好きだったな〜と最近思い出しました(苦笑)

ぐじゃぐじゃな生活

早い時間に体を横にして寝ないと、身体にはよくないのだろうなあとは思っています。

が、どうしても家に帰ると夕飯を作って、食べるまではささっと動けるのだが、そのあと動けなくなる。

その理由は、テレビ(録画)を見るためにソファに座る→横たわる(寝ている)
もしくは、床暖の上に座る→横たわる(寝ている)

という図式ができているからなのだろう。そこからは地獄の負の連鎖。


では、どうしたらよいのか?どうしたら、食後、ちゃきちゃきと動けるのだろう?


1.テレビ(録画)を見たら、すぐ動く!やるべきこと(やりたいこと)をする!

2.そもそもテレビを見ないで、やるべき(やりたいこと)ことを先にやる!

3.テレビを見ても良いが、時間を決める!


どれが一番実現可能なのか?

仕事をしてきたのだ。休息も必要だよね!といって、ちょっとでも座るとダメになる。そして自己嫌悪。というか最近は開き直り。


書店に行くと「朝」を活用すると良いといろいろな本に書いてある。そんな本が目につく。


朝か。。。朝を有効活用する。。。自分にできるのであろうか。。。


誰にも邪魔されない時間。緊張感のある時間を確保できるかな。



追記:某友人のように、朝アイロンをかけるということはかなり上級なので、それは無理としても、、、

起きたら何をやる!何をしたいのか!?それが明確に自分でわかれば、いいのか。。。

そうだ、それですね。それがないからダラダラするのだ!(喝!)

(実際どうしてもやらねばならぬ時は、動きますもんね)



教訓:やりたいことを明確にしよう

他人事

他人事として聞いていた。


「今日、金曜日だと思っていたー。すぐに帰らなきゃ―。」

職場で、女性が大きな声で「曜日」を間違えたことを嘆いている。
明日が昭和の日で休み。だから、「休みの前日=金曜日」という発想だったらしい。


自分は、パソコンに向かって仕事をしていたので、耳だけで彼女のその言葉を聞いていた。というより、聞き流していた。「今日は木曜日だよね」と心の中で思いながら。彼女の顔も見ずに。ましてや、彼女に一言の声もかけずに。


のちのち考えると、その時に彼女になんらかの反応、いや優しい言葉のひとつもかけていれば、こんなことにはならなかったのだ、と思えることが起こった。


翌日、金曜日。午前中は家でシゴトをしていた。そして午後!
スポーツジムで走ろう!そう思って家を出た。週末(土日のどちらか)はたいていジムだ。


いつもの駐車場に止めた。
「あれ?いつも交通整理をしてくれる人がいない…。」という小さな違和感はあった。でも「道が混んでいないから、整理する人がいなくても大丈夫なんだ」と勝手に解釈して駐車場のゲートを入った。


でも、それはすぐに間違いだと気付いた。

一台も停まっていないのだ。


いや、正確に言うと、私の入る前に一台、車が入った。


仲間がいた!という安心感があった。

とりあえず、駐車した。


その車から、二人の人が降りた。なにやら封筒を持っている。入り口に向かって歩いていく。すぐに戻ってきた。そして、すぐに駐車場から出て行った。

やっぱりやっていないのか・・・。

ならば、駐車場に入ってしまっただけで、料金発生するよね?だったら・・・ちょこっと近くに用があるから、それを済ませてから、この駐車場から出よう。


・・・そんな下心が働き、いったん車を置いてその場を去った。


30分弱で用を済ませ、駐車料金を払って出ようとした。

「初めの○時間は、たしか○円だったよね!」と思って、小銭を投入した。

……開かない。ゲートが開かない。なぜ???……


駐車場機械の請求金額を見た。

請求金額が「5000円」になっているーーーー!!!

ええええーーーー。



おお。呼び出しボタンがある。押してみる。なんの反応もない。

あわてて車から降り、建物の方へ向かう。

入り口は無情にも「本日休館」の貼り紙。



他の入り口を探して、走った。その瞬間、建物から制服を着た人が出てきた。
事情を話すと、ゲートを開けてくれた。

ほっとして、スポーツジムを去ったー。




教訓:人の嘆きは、自分事と思え。



あのとき彼女に「今日は、木曜日ですよ〜」とフォローしておくなり言葉がけをしておけば、自分の脳が「週末の休み=土曜・日曜日」という思い込みを書き換えられたかもしれない(ぼそっ)。