メアリー・ノートン作 「床下の小人たち」 岩波少年文庫

本書を手にとったきっかけのひとつはジブリの映画(最新)の原作であるということ。そして友人の面白かったよのひとこと。
もうひとつは、先日読んだ『ニングル』(倉本 聰著)が小人の話だったので「小人」つながりでー。


はじめに結論。予想外に(!)面白かった。一気に読めた。


「ニングル」の小人との相違点、共通点を中心に以下を覚書き(←この発言は文章にまとまりがないことを意味します 苦笑)。ということで感想メモメモなのでご容赦を!


「小人」というと何らかの特別な力をもっているのが常だが、ここ(「床下ー」)に登場する小人たちは特別な力を持っていない。「人間」の小さい版。
「ニングル」のほうは、森林の水脈をあてることのできる能力をもつ。(この違いは大きいものかもしれない?)


共通点は、両者とも人間によって物が与えられるという経験をもつ。
「床下ー」のほうは、一家の主婦であるホミリーが、物質的に豊かになるにつれ目の色が変わり、どんどん物欲が増大する。それにより部屋の模様替えなどで忙しくなっていく。

「ニングル」のほうは、「電話」という文明機器との出会いで、小人が電話にはまる。初めは電話のしくみに驚く(まるで昔の人がカメラを向けられると魂をとられるのではないかと恐れおののく感じ!)そしてはまる。次にテレビというものを知り、それもずっと見っ放し。テレビでやっていること全てを信じてしまう。

両者とも物欲にキリがない。とどまるところを知らない。


「小人」のこととして客観的に見ている自分だが、人間である自分も俯瞰してみればまったく同じ。「小人」の言動は多かれ少なかれ人間社会の縮図。作者の物質文明への警鐘が根底にあるのだろうー。

もうひとつ感じたのが、どちらの小人にもプライドがあるということ。自分たちを中心に世界が回っているということ。小人の世界と人間社会は平行線である。。。


最後に「床下ー」で一番こころに残ったのは、長年床下の日の当たらないところで暮らしていた小人(アリエッティ)が、明るいところへ出た(新しい社会と遭遇)した場面の描写。その世界こそが人間である自分たちが享受しているもの。小人の目を通して、すばらしいものであるということを再認識した。

「床下ー」は児童文学作品というだけあって(?)、子どもと大人とのやりとりや子どもの冒険心というものが描かれていてとてもよかった。