原口 泉著 「篤姫」 グラフ社

宮尾登美子著『篤姫の生涯』を既に読んでいる自分にとっては、本書はそれほど目新しいことはなかった。
……それもそのはず。
著者はNHK大河ドラマ時代考証をしている方なのだから。全く違った立場(視点)ということはありえない。というかあっては困る(笑)。


とはいえ、本書においては篤姫がいかに徳川家を守ろうとしたかがわかる資料が載っていたのが印象深かった。
それは、江戸城総攻撃の日が決まり東征軍が江戸に向かっているという一刻の猶予もない中で、攻撃中止、家名存続を訴える嘆願書(全文)だ。原文とその訳文が載っている。


本書のサブタイトルにもなっているのだが「わたくしこと一命にかけ」ぜひぜひお頼みしたいという強い気持ちが伝わってくる文章である。これは古文書学の形式論から見て、非常に異例なものだという。


<薩州隊長へ>とあるがこれは実質同郷の西郷隆盛に宛てたもので、そのような者に直接手紙を書いたということ。<「薩州隊長中」>という宛名(これはとにかく軍勢の最前線にいる者へ届いてほしいという意がこめられている)。そして、女性の手であるにもかかわらず、漢字・漢語が多様されている。という三つの理由からだそうだ。

また、和宮も徳川家の存続を訴える手紙を東海道先鋒総督の橋本実梁(従兄弟)に手紙を書いたり、東山道先鋒総督の岩倉具定に江戸城攻撃中止を求める嘆願書を送っている。この書状(後者)も原文とその要訳が掲載されている。


その内容から両者ともにお家の一大事に必死であることが伝わってくる。公家出身の和宮がこのような働きかけをしたのは篤姫の影響によるものではないかと著者は言う。実際、輿入れしたときの和宮とはだいぶ様相が変化しているように思う。


そのことを示すのにその当時の関係文書の随所に見られるという。
例として『海舟語録』を挙げそこには<その精神の凛乎たることといふものは、実に驚いた。「一旦、徳川氏に嫁した以上は、徳川氏の為に命をすてる。><御一新の時でも、和宮を奉じて騒がうとしたものがあるが、宮が泰然として居らして、少しも心配なかったよ。おかくれの時でも、「決して皇室の方に葬るナ、是非、徳川氏の方に埋めてくれ」という御遺言だ。>という記述がある。


また篤姫についても『海舟語録』から以下の内容の文章が引用されている。
ー薩摩からの「篤姫を引き取りたい」という藩の希望を追い払い、一歩でもココをでない。もし無理に出せば自害するといって、昼夜懐剣を離さない。お附きのもの(6名)もみな一緒に自害するという。誰が行ってなんと言っても聞かれない。それはひどい剛情なもの。


立場は違うけれども縁あって徳川家に嫁した二人の女性。最初の頃は江戸と京のしきたりの違いや周りの者の存在で、しっくりいかないこともあった篤姫和宮。そのふたりの関係が時とともに変化していく。その様子をどうドラマで描くのか。。。なんてことを考えるのもまた愉し(笑)。