中島 梓著 「アマゾネスのように」 ポプラ文庫

本書は著者が乳がんを宣告されてから入院・退院をし、その後の1年半の体験を綴ったものである。いわゆる「闘病記」というものなのだろう。

……しかし。

「闘病」=「悲惨」という私の勝手なイメージからはほど遠い、かなりパワフルな…いやパワーがもらえる本なのである。

乳がん」の人からパワーをもらう…というのは実に変な話かもしれないのだが、とにかくスゴイのである。


なにがスゴイのかと言うとそのひとつに、自分がその<渦中>にいる時にこれ(本書の大半)を書いていることである。


「ガン」と聞いただけで自分なぞは恐怖心を抱いてしまうー。
それが自分の身に突然降りかかってきたとしたらー。
そしてそれが一刻の猶予もならずに切除しなければならない状況のものだったとしたらー。


……精神的に動揺しない人がいるだろうか?

……手術前後に体力的にきつくない人がいるだろうか?


答えは否であろう。


……なのに。なのに……。


それらを押しての臨場感たっぷりの体験記なのである。まるで文字で表されたドキュメンタリー映像を見ているかのようだ。細かなことまで逐一書かれている。個人的な感情を極力排してー。

ゆえに、時々見られる「痛い」「苦しい」という言葉が胸につきささってくる。本当本当にに痛いのだろうな…と。そして、その口調(文体)が日によって違うことから、著者の心情が揺れ体力がもてないでいるのが読む側に伝わってくる。(また小学1年生の息子さんあてに遺書を書かれており私はそこで落涙した。)


話は変わるが、過去に同著者の『息子に夢中』(角川文庫)を読んだことがあった。これは2歳前後の子どもとご自分の日常を綴ったものである。このときにやっぱりスゴイ!と思った。

なにがスゴイかというと目の離せない好奇心たっぷりの子どもが家にいながら、自分の仕事(原稿を書き)をし、人を家に招いては料理をつくり、家事をし、日記を綴る。仕事の関係で外出もしている。そのパワフルぶりに目をむいたことを記憶している(すみません細かいことは忘れました 汗)。

子どもの世話をしながら家事をこなし育児日誌を書くのが精一杯だった数年前の自分が、まるで卑小に思えたものだ。そしてこの本を読んでいる今ー(といっても数年前だが)


……マダマダヤレル…。
……モットヤレル……。


実際やっている人がいるのだ。勝手に自分で限界(精神的・肉体的)を感じ、時間があることにかまけて効率的に一日を過ごしていないことに気づかされた。その時に感じたことを本書読了後にも同様に感じた。


自分を客体化し、悲劇の主人公にせず、乳がんと戦う姿がなんともいえずカッコイイ。

様々な思いを抱きながらも、最終的には乳がんがなんだ!そんなことに負けてられるか!まだ自分はやりたいことがある!


とひたすら前だけ見て歩んでいく(いや、疾走していく?)、著者の姿を目のあたりにして勇気をもらえるのである。
著者のおそろしく忙しい日常のなかに乳がんの体験をポーンと入れても、びくともしないかんじなのである(もちろんそうでない日もあるのだが)。
(そして人には決して見せない著者の思いや感情は、小説の登場人物に投影されてらっしゃるのだろうなと推測いたしました)。


不安というのは最終地点がイメージできないこと。さらにそこに向かってどう進んでいくのか見えないときに感じるものだと思う。正直自分がそのような状況に陥ったら不安で押しつぶされそうになるだろう。


……しかし。


この本を読んだおかげで、病はとにかく「気のもちよう」ということを強く教えてもらった。
手術や入院生活というもののイメージももてた(これは自分の過去の経験と似たようなものだということがわかった)。
なので、全くとは言えないが恐怖心というものが多少は薄らいだと思う。


そして―。


もし自分が同じ病気になったらこの本を手渡し、パートナーに読んでもらいたいと願うだろう。なかなか自分の口からは伝えにくいこと、わかってほしいこと、一連の手術前後の経過とするべきことなどなどがたくさんつまっており、少しでも自分の置かれている状況をわかってもらえる本だと思うからである。それをどうとらえるかということは各自さまざまにせよー。


<それとパートナーは本当に重大だ。あなたは自分のパートナーを、あなたが女性だったとしたら、自分がそうなったときになぐさめ、いたわり、回復に力をかし、つねにはげまし、ぐらつきがちな自信や健康をやさしく守ってくれると期待することができるだろうか。あなたが男性ならあなたは自分のパートナーをそうやって大切にしてあげられるだろうか。私は病気になったときにはじめて「こいつはこんなにひどいやつだったのか」と知ってしんそこ落胆する、などという不幸な体験は絶対にしたくない。そのためにも、私たちはふだんから表面だけのではなく、本当に率直に話しあい、相手が公式発言ではなくて行動においてどういう人間であるのかをちゃんと知っていなくてはならないと思う。(中略)「病めるときも、すこやかなときも―富めるときも貧しきときも」―この誓いの意味がはじめて私はわかった気がする―私はいつもすこやかであったし、貧しかったこともなかったからだ。だから「病める時」を持ったことは私にとっては重大なことであった。>


乳がんという病気になったことさえ、片方乳房がなくなったことにさえ自分にとって良い点を見つけ出し前に進んでいく姿ー。


……かっこよすぎ……。


しかしさらにこの体験の十数年後、ちがうガン(すい臓)と闘うことになる著者ー。こちらの体験記(『ガン病棟ピーターラビット』(ポプラ文庫)もあるそうなので引き続き読んでみたい。