予備登山

中学生のころ学校で山登りを経験した。
それは新田次郎著『聖職の碑』のなかに登場する山で、高さは2000メートルくらいはあるだろうか(すみません。忘れました)。
頂上の山小屋に一泊し、翌朝ご来光をはじめて目にした。


雲海のなかから光がさしてくる光景は忘れようにも忘れられない。


高山病にかかりそうなくらい、つらく苦しい登山だった。
山小屋では湿気ている狭い部屋にクラスの女子が重なり合うようにして寝た。
一人分のスペースは一畳もなかったと記憶している。


それはほんとうにつらいばかりだった。


しかし、そのご来光を見たとたん今までの苦労が吹きとんだ。感動でことばがでなかった。
登山なんてまったく興味のなかった自分だったが、登山っていいな。。。とそのときばかりは思った。
登山前検診に貧血でひっかかり行けるかどうかの瀬戸際だったので、行けてよかったとこころから思った。


さて、その本登山の前に予備登山というものを行った。
リュックに砂袋(5キロぐらい?10キロだったか?)を詰め、近場の山を登るべく平地からえんえんと歩くのである。泊まりはなかった。

これもつらかった。足がぱんぱんになった。登山を終えてとぼとぼと足をひきずって下校したことを覚えている。


……しかし。振り返ってみればこの経験があってこその本登山だったのだと思う。


本登山で前へ進めなくなる寸前。はあはあ息苦しくて弱音を吐く寸前。
……大丈夫予備登山でがんばったじゃないか。
……マラソンで体力をつけたじゃないか。
などそれまでにがんばったいろんなことを思い出して自分を励ましながら頂上まで登ったものだった。


そして今ー。
自分はまさしく予備登山中。

つらく苦しいけれども、本登山に向けてのいい練習。いい鍛錬。

だんだんこの山を登るペースもつかめてきた。


ご来光を見たい!

そのいっしんで歯をくいしばって前へと進もう。

きっと登った者だけが得られるなにかを得られるだろう。

そう自分に思い込ませて進むしかない。


たとえそれが期待どおりのものではなかったとしても、登ることにいや登ろうとすることに意義があるんだと自分を叱咤しながらー。