久世 光彦著 「向田邦子との二十年」 ちくま文庫

演出家、プロデューサーであり作家としても作品を書かれていた久世氏。向田氏とは「寺内貫太郎一家」「時間ですよ」など多くのテレビドラマを手掛けられた。今は亡きお二人だが、本書を読んでいてなんだかせつなくなった。

向田氏は五十二歳でこの世を去ってしまったが、残された久世氏の向田氏への想いや思い出が本書には綴られている。その文章がものすごく味わい深い。お世辞を言う訳でもなく、淡々と綴っているようでいて内面にはかなり熱い思いがあるのが伝わってくる。むしろ向田氏への想いを抑えた表現だからこそ余計に伝わってくるのかもしれない。

読んでいると時々こちらの胸が熱くなってきて、エッセイというより久世氏の向田氏への長い長い弔文のように思えた。久世氏から見た向田邦子像。向田作品の分析。向田氏の家族との付き合いなどなどいろんなことがつまっている。

生前の向田氏の様子を想像しながら読んだ。初めて知る人となりなどもありとても興味深かった。本書を読んで「向田邦子」という人は魅力的な人だったのだなあと思う反面、ものすごくさびしい面もかかえてらした(世の中そうではない人がいるわけないとは思うが。。。)ということがわかる。それを不幸と呼ぶかどうかは人によると思うが。向田氏自身もいろいろと人には言えないものを抱えていたことがうかがい知れる。これについては、たとえば『向田邦子の恋文』という本からも察することができるのだが。興味のある方はぜひご一読を!


本書は『触れもせでー向田邦子との二十年』(講談社文庫)と『夢あたたかきー向田邦子との二十年』(講談社文庫)を一冊にまとめ、タイトルを改めたものだそうだが、後者のなかの、「姉らしき色(2)」がうるっとくきた。そのなかでこんな文章があった。


<生きているうちは、そんな風に思った覚えはまるでないのだが、いなくなられて十数年もたってみると、姉のように思われてくるのはどうしてだろう。思い出すのは叱られたこととか、目を盗んで悪さをしたこととか、私のことを心配していたと人づてに聞いたこととか、そんなことばかりなのである。(中略)私は末っ子だから、人に甘えるのが上手だと言われることはよくあったが、生前にあの人に甘えたという記憶はない。だいたい、甘えさせてくれるような人ではなかった。そんな手口が通用する人でもなかった。だから、いなくなってから甘えているのである。きっとそうだと思う。向田さんとは、いっしょに戦った覚えもなければ、趣味で一致していたわけでもない。幼なじみというにはお互い知り合ったのが遅すぎたし、畏友というほど尊敬もしていなかった。ましてや、色恋めいた気持ちなど、お互い毛の先ほどもなかった。しかし、こうやって一つずつ消去していくと、ああでもない、こうでもないでなにもなくなってしまう。それなら、三年も四年も何を綿々と書きつづけているのかということになる。そこで、いままであの人について書いてきたことを読み直してみると、つまり、いなくなって、ようやく安心して甘えている自分に気がつくのである>


その自分の想いを、中原中也の「姉」的存在への想いをからめて、ひとつのエッセイに仕立て上げているのがよかった。


巻末に「忘れえぬ人 座談会」と称して久世氏と小林亜星氏と加藤治子氏の向田邦子氏をめぐっての話が載っている。これもまたおもしろかった。向田氏のいろんな面が見ることができた。