木田 元著 「反哲学入門」 新潮社


著者の導きによって哲学の流れが手に取るようにわかる本である。

私は過去にそれを『ソフィの世界』で試みたのだがあえなく撃沈した。読み通せなかったのである。

しかし本書は違う。なにが違うか。ひとつには非常にわかりやすい。もうひとつは細部についてはあまり深入りをしない。それゆえに流れに安心して身を任せることができるのである。

ソクラテス以前の思想家の思索の考察からはじまって、ソフィストソクラテスプラトンアリストテレスと形を変えながら脈々と続いてくるもの。古代ギリシアでどんなことが起ったのか。ソクラテスのしたこと。キリスト教と切っても切り離せない哲学との深い関係(ニーチェいわく「キリスト教は民衆のためのプラトン主義にほかならない」との言葉があるくらい)。対立するプラトン主義とアリストテレス主義のどちらを国家(ローマ帝国)の正統教義として機能させ共存させていったのかなど。国家の歴史に深くかかわる様子がわかりやすく語られていく。実際本書は、編集者の疑問に答える形で著者が口述したものを文章におこしたそうである。

また、そのころの西洋哲学を日本人がどう取り入れていったのか。ここは主に福澤諭吉実学について述べられている。デカルトの近代的自我・理性について。これについてはかなりの紙面を費やされている。デカルトの「理性主義(合理主義)の哲学」から、時代と共に啓蒙主義・イギリス経験主義への変遷した様。カント→ヘーゲルニーチェとどのように「哲学」がとらえられていったのかなどなど。

哲学者たちの思考や知識の断片の紹介といった無機質的なものではなく、哲学者の人となりや思考形成の過程、著者の個人的感想も折り込みながら端的に語られていくので、哲学史という大きな流れによどみがない。すーっと流れにそって進んでいくことができる。

むしろそれで?それで?とどんどん著者の投げかける疑問にひきつけられるように先が知りたくなる。実際のところもっと詳しく説明したい場面もあるのだろうが、そこをあえて端折りながら話を進めてくれるので本筋からずれずにすむ。

それは全章に言えることで、ニーチェからハイデガーに至る過程とこの二人の思想について詳しく述べられておりとても興味深かった。著者独自の仮説あり人物像への思いありとまどいありで、哲学という硬質で難解というイメージをとりはらってくれる話の進め方で読者に非常にやさしいと思わされる。

個人的にはハイデガーに興味をもった。 人となりとしては?と思う場面も多々ありそうだが(実際ナチス加担していることからしても)、彼の業績は偉大そうである(『存在と時間』など著作を読んでみたくなりました)。

>>そしてハイデガーは、こうした哲学を基底におこなわれてきた<西洋>の文化形成の先行きに絶望し、その「破壊」を主張します。この小さな講演でも、「破壊とは、壊滅することではなく、取り払うこと、取り去ること、取り片付けることを意味します」「破壊とは、伝承のうちで存在者の存在としてわたしたちにおのれを語りかけてくるものへわたしたちの目を開き、それを自由に解き放つことにほかなりません」と述べています。

ほかのところでも彼は、自分の思索の営みをもはや「哲学」とは呼ばず、「存在の回想」(An-denken an das Sein)と呼んだりんだりしています。これをはっきり「反哲学」と呼んだのは、(中略)フランスの哲学者モーリス・メルロ=ポンティでした。やはりハイデガーの強い影響を受けたジャック・デリダも、伝統的な哲学(「現前の形而上学」)の脱構築を提唱していますが、これも一種の「反哲学」と見てよいと思います。 
前にも述べたように、わたしも自分の共感してきたこれらの思想家たちの思想的営為を<反哲学>と呼び、いわばニーチェ以前の<哲学>と区別して考えてはじめて、それらをうまく理解することができましたし、非哲学的風土だと言われてきた日本で自分たちがおこなっている思考作業がなんでありうるかを納得できるようになりました。<<
哲学という大きな流れの中で、だれがどんなふうに思想していったのか。その転換点に立ち後世に影響を及ぼしているのは誰かなど著者の目を通して俯瞰して見ることができ とても面白い本だった。

そして本書を読んで<哲学>ということばの意味に新たなものが加わった気がした。
本書をマッピングしたら内容が定着するだろうなあ。。。(ぽそり)


以下覚書きとして。。。(著者の著作をメモ)
哲学史について>
『反哲学史』(講談社学術文庫
『わたしの哲学入門』(新書館

ニーチェや現代哲学について>
『マッハとニーチェ』(新書館
『現代の哲学』(講談社学術文庫

ハイデガーについて>
ハイデガーの思想』(岩波新書
ハイデガー存在と時間」の構築』(岩波現代文庫
『哲学と反哲学』(岩波現代文庫