山口 良治×平尾 誠二著 「気づかせて動かす」 PHP

サブタイトルに<熱情と理のマネジメント>とある。

著者の山口良治氏は、過去に某TV番組で「泣き虫先生」として紹介された方。その番組を偶然にも視聴し涙してしまったので覚えている。番組の内容は、ある高校に赴任した山口先生が、荒れてやる気のない子どもたちを指導して日本一(高校)のラグビーチームに育て上げたというものだ。

そしてもうひとりの著者平尾氏は、山口先生の教え子(高校時代)。神戸製鋼ラグビー部GM。過去には4大会連続のワールドカップ出場達成。


先に著者と書いたが、じつは本書はこのおふたりの対談集だ。両者ともプレイヤーとしても指導者としても活躍されているかた。なので言葉に説得力がある。熱がある。愛がある(笑)。


けれども自分をおとしめたり卑屈になったりすることには、真正面からそれはダメだ!と激昂する。ダメなものはどうしったってダメ。しかしその叱り方は人(生徒)に応じて変えていく。それができるのも一人ひとりをきちんと見ているから。少しの変化も見逃さない。


以下<>は、印象にのこったところからの引用部分です。


<山口●しかし、これは教育だから、そうした生徒を排除してしまうわけにはいかない。力で抑えつけるだけでもいけない。高めていかなければいけないわけだ。それには気づかせることなんだよ。気づかせて、自分から物事に取り組んでいけるようにさせないといけない。>

*そうした生徒というのは、「蹴っ飛ばしてでも目標に向かわせないといけない子」のこと(gerbera 註)


<山口●生徒に対する思いやりがあれば、生徒がどんな気持ちでいるかわかる。それがなくて、一方的に選別するだけだからね……。子どもっていうのは、真剣に自分のことを思ってくれているのか、それともいい加減な気持ちで言っているのか、もう瞬時に本心を見抜く感性をもっているんだよ。殴ったり蹴ったりするだけで変わるんなら、誰でもそうするよ。>
 


<山口●やっぱり、ひとりひとりがやがては社会を構成していくわけだから、はっきりとした目的意識をもった生活ができるようになれるかということは非常に大きい。目標のないところに努力はない。だから、子どもたちに、どんな目標を、どんな夢をもたせてやれるかということが、教育ではとても大事なことなんだ。>

 


<平尾●気づきっていうのは、自分にしかわからない、ある場面の風景がパッと変わるような出来事なんです。それで行動がパッと変わる。だから、指導者は教え過ぎたらダメなんですよ、気づきを与えるためには……。いろんなことを考え、試しながら、本人が気づくようにしむけて、気づいてくれることを期待する。>


<山口●でも、もうちょっとだけ耐えていくことによって、それまでとは全然違う自分に出会える。新しい自分との出会いが待っているんだよ。そこに気づくことができるかどうかなんだな。気づかない奴はそこで終わってしまう。根性というのは、自分の姿をどれだけイメージして、そこに向けてどのようにマネージしていくかという能力のことだと思うんだよ。根性がないというのは、イメージができない、マネージができないということなんだ。だから、学習能力のない奴は、絶対に一流にはなれない。同じ失敗を平気で繰り返すからね。前にも言ったように、ミスを知らない名選手はいないし、負けた悔しさを知らない勝利者はいない。でも、努力をしない天才もいないんだ。努力なしに素晴らしい勝利や感動は絶対に得られない。そういうことに気づかない人間のことを「根性がない」と言うのではないかな。>



<山口●「やらされている」のか、それとも「自分でやっている」のか、子どもにどう思わせるかというのは非常に大事なことなんだ。教育にかぎらず、どんなことでもそうだけど、やっぱり「こういう人になってほしい」とか「こういうチームをつくりたい」というイメージやビジョンを描けない指導者やリーダーは、人を育てることはできないんじゃないかなと思うけどね。>


<平尾●やっぱり、個人個人から出てくる意欲が結束したときに、いちばん強くなる、いいものができるんだと思うんですよ。強制力だけでやらされていると、いざというときに弱い。><じゃあ、どうやってそういう自発性を増幅させていくか。(中略)「自分で決定する」ことだと思う。><大きな決定なんて、人間は急にはできないですよ。子どもの頃から、そういう小さな決定をしていくなかで、自分で学習したり、自信をつけたりしていくことによって、最後に大きな決定をすることができるようになるわけでしょう。そうやって、非難されることも含めて結果に耐えうる個人ができあがるんですから。>


長々と引用してしまい失礼しました。

最後に。。。あとがきの平尾氏の山口先生についてのことばがこれまた良かったです。