上橋 菜穂子著 「獣の奏者 Ⅱ 王獣編」 講談社
本書は「獣の奏者 Ⅰ 闘蛇編」に続くものである。
王獣と娘(主人公 エリン)の交流を描いた物語。
けれどそれは、決して心あたたまるものではない。
物語を読み進めるにつれ、読者である自分も苦しみ悩み心がだんだん塞がれていく。そんな気持ちに何度かさせられる。エリンの心の動揺と共にー。
しかし。
読後、どこかさわやかな風が吹いてくるような気持ちになるのはなぜだろう。
それはこの物語が登場する国の背景・歴史を描くことによりそれらの抱えている問題点、矛盾点が浮き彫りにされてくる。そういう矛盾をかかえた世界のなかで、人と獣、人と人が生き共存していく道を探ろうとする著者の熱いこころが伝わってくるからではないだろうか。
本書のあらすじは。。。
<傷ついた王獣の子、リランを救いたい一心で王獣を操る術を見つけてしまったエリンに、学舎の人々は驚愕する。しかし、王獣は「けっして馴らしてはいけない獣」であった。その理由を、エリンはやがて、身をもって知ることとなる…。王国の命運をかけた争いに巻きこまれていくエリン。―人と獣の間にかけられた橋が導く、絶望と希望とは?>(本書より)
答えは簡単には出ない。
人にはいろいろな思惑があり欲があり歴史があり。しかし獣はその矩をけっして越えない。
獣を人間の道具として使うことに嫌悪感をおぼえる者のとるべき道。それを模索するエリンー。
しかし王獣が人と心を通わすことが自分の首をしめることとなる。苦しみながらもその時その時の自分の思いを大切にしながらひたむきに生きる少女の姿は美しい。
<「おれが尊敬するのはおまえの熱意だよ。おまえのとんでもない熱意だよ。この十二日間、おまえはただひたすら、リランのことだけを考えていたもんな。ここまでひとつのことに没頭するやつ、おれは、初めて見たよ」>(トムラのことばより おまえというのは、エリンのことを指す)
<「発想もすごい。…おれ、今回つくづく思った。人にどう思われるか気にしていると、発想も縮こまるんだな。おまえは、そういうことに信じられないくらい無頓着なんだよなあ。突拍子もないことを言いだして笑われるんじゃないかとか、まったく考えない。だから人が思いつかなかったことができるんだな」>(同上)
<「わたくしは、身を裂かれるよりつらいです。命をとられるより……。でも、その行為によって、わたくしを苦しめることはできても……従わせることは、できません」血を吐くような言葉だった。>(エリンのことばより)
この物語のいやこの著者の作品が好きな理由に、登場人物が真面目であるという点があげられるかもしれない。浅慮ではあるかもしれないけれどもその人なりに解決方法を探っていく。賢い人は賢いなりに苦労がある。
また自分個人の生きる道と国全体のとるべき道の両方の視点をもって描かれている。その点も好感がもてる。
最後の最後にどんでん返しがあり、落涙は免れ得なかったー。
すばらしい物語をありがとうございます。上橋 菜穂子氏にただただ感謝です。
(なんかまとまらない文章ですみませんです。。。)