山田 太一脚本 「ありふれた奇跡」⑥

今回は重いテーマが出てきました。

いや。今までもあったのですが、それが加奈と翔太の関係のこれからを左右するようなもの。

恋愛→結婚→出産

この道筋を通るのが普通だと思いそう願う人たちを前にして、彼らはどう立ち向かっていくのか。


……いやその前に。

そのふたりでさえ、その現実を受け入れることがむずかしくその関係までぐらついてくる。


加奈が自分の辛い現実を受け入れることができない。

でも。勇気をもって口に出して言うことができた。

そのことをはずして翔太とのこれからのつきあいはありえないと思うから。


とても誠実な人である。

相手のことを思うからこそ、自分の汚点をそう簡単にゆるしてはいけないと言いゆっくり考えてと言う。


そしてそのことを聞いた翔太はやはり、加奈のことを考えて自分の思いを即座にぶつけてしまう。

加奈の祖母に自分を悪者に仕立てて、加奈を守ろうとする。

誤解を甘んじて受けるのである。

そうやって加奈を守ろうとする。


そうしてもらうことがうれしい反面、一時的な感情で答えを出してほしくない。今後後悔することがあってほしくない。

だからこそ、ゆっくり答えを出しみつけていきたいと願う加奈。


そこに両家の親同士の思惑が絡んでくる。

勝手に親同士が子どもの将来について希望を抱き話しあいいがみあう。


どうやってこの難局を打開していくのか。

ふたりは結ばれるのか。

どうやって加奈は自分の問題に向き合い、解決に向かって歩いていくのか。

翔太がそれにどう寄り添っていくのか。



なかなかむずかしい問題だけに、それをどう山田氏が描いていくのかとても興味があります。



人が不幸だと思っていることを他人がどう自分の問題として受けとめるのか。



……なにもしてあげることができない。ただ聞くことしか……。


そう警察官の塩見(役者名)は言うが、最後にとてもこころに残ることを言う。


それは、不幸についてのなぐさめではなく、それに直面している女性(スナックのママ)をほめるのである。

つらいけど、それを口に出さずにえらい。笑顔を見せてえらい、と(←まちがっていたらごめんなさい)。


その人にとっての不幸の内容についてなぐさめることはいくらことばを尽くしてもうそになる。

どんなに心をこめて言ったとしてもー。

なぜなら自分がそれを体験していないから。

同じような体験であったとしても、まったく同じではないから。

自分はその人ではないから。


でも、その人自身をどう思うかということは言える。

その人がその問題にどう向き合っているかの感想を言うことはできる。


そんなことを塩見の行動を見て思った。


(すみません。奥歯にものがはさまったような文章となってしまいました。。。)