やました ひでこ著 「新・かたづけ術 断捨離」 マガジンハウス
いわゆる「片づけ術」とは違う本。
ものをどう片づけ、整理するかというハウツーは書かれていない。
本書は物を「捨てよう」という「気」にさせる本。
意識改革を目指した本である。
本書の初めに著者はこう定義づける。
「断」=入ってくる要らないモノを断つ
「捨」=家にはびこるガラクタを捨てる
このふたつを繰り返した結果訪れる状態を
「離」=モノへの執着から離れ、ゆとりある”自在”の空間にいる私
印象に残ったのは、<主役は「モノ」ではなく「自分」>。「モノと自分との関係性」を軸にモノを取捨選択していく技術>これが「断舎離」だということ。そして<時間軸は常に「今」>。という考え。
また著者は、モノの流れを<水門>に例えたり、モノに溢れた生活をしている私たちをヘドロ(住まいの物置化・住まいのごみ溜め化)のなかに体を浸し、その上澄みに顔だけ出しているナマズに例える。そのナマズは<動くのが億劫であっぷあっぷ>している状態だという。
そうかと思うと<片づかない部屋を「便秘」>に例える。
<部屋にモノが堆積しているのに慣れきっているのは、便秘で感覚麻痺を起こしていることと相似形>。
<ちょっと下剤の力を借りれば、本来は自分でできます。>
またガラクタやゴミを生鮮食料品に例え、どっかからどう見てもゴミというモノは<「腐ったハム」>。
ゴミではないけれど、「不要・不適・不快」なモノ=食べられるけど賞味期限切れで美味しくないモノは<「ひからびたハム」>
「使っていないモノ」は呪縛のエネルギーに満ちている。
「使っているモノ」(気にいっているわけではないモノ)は混乱というヘドロ。
「想念の強いモノ」(思いが込められているためなかなか捨てづらいモノ)はそのモノ自体が強い気を発している。
などなど。本書の中に随所に現れる例えがなんとも汚く、気持ちが淀んでくる。想像するだにイヤになってくる。
それが目的なのでしょう。ああ。捨てよう!という気になってくる(苦笑)。
「断捨離」で大切なのは、まず「捨」てること。
そして、例えば引き出物にもらったマイセンのカップを「もったいないから使わない」と自分を貶めるのではなく、グレードの高いモノに自分をレベルアップさせていくという発想をするのだとか。
毎日使うモノは潜在意識に作用しやすい。日常使いすることに違和感がなくなったとき、潜在意識のセルフイメージも引きあげられる。
自分のお気に入りのものだけに囲まれて生活する。
そうするために「捨」てる。捨てるときの心構えなども書いてある。
いよいよ2010年も押し迫ってきました。
意識のレベルではかなり「捨」の気分です。
いよいよこれを実行に移さねばなりません。
「知行合一」できたとき、この本の威力に再敬礼です!