池田 理代子著 「あきらめない人生」 海竜社

劇画家として大成(?)されたのちに、今は声楽家として活躍されている。ものすごい血のにじむような努力をされている方。
<45歳から音大目ざして受験勉強を始め、2年後には音大生となり4年間学生をする。>
このたった一行のことをするために、どれだけの強い思いがあり自分を賭けているか。想像を絶する。

過去(1991年)に出版されている『せめて一度の人生ならば』(海竜社)という著書を読んだことがある。その時かなり刺激を受けた。
そして本著。これは過去の雑誌や本に掲載されたエッセイをまとめたもの。その時々の池田氏の熱い思いがぎゅっとつまっている。

池田氏のすごいなあと思うところは、ご自分を直視してらっしゃるところ。そしてそれを書いていらっしゃるところ。


<私の懊悩の大部分は、自分が子供を産めない女であるという、その事実にあった。近年になって、人間の女(メスとしての)が閉経を迎えた後までも長寿を保つのは、生態学的にいってどういう意味があるのかという点にスポットライトが当てられるようになってきた。(中略)さて、動物の雌としてもはや何の価値もない存在だと自分を認識できたときに、私は、何と多くのものから解放されたことか。それならば、もう残る人生を、本当に好きなことだけやって暮らそうと、ある日卒然と思うことができた。それともうひとつ、どのように生き何をやっても、世間には(特に日本には)必ず悪く言う人間があるという事実も、私の背中を後押ししてくれた。(中略)「いったん諦めるところから、諦めない人生が始まる」のだと私は思った。>


長いキャリアに一旦終止符を打って(捨てて)まで、昔からの夢だった音大に入学した池田氏だが、その先どういう方向に進むのか。同級生の語る夢を聞くにつれ自分の年齢からくる限界というものを意識せざるを得ない。胸の締め付けられる想いをされていることが伝わってきた。また卒業後のレッスンもかなり厳しいものだそうだ。



全体を通して第1章がこころに残った。タイトルは<人生は一大ドラマ 後悔しない生き方、なんてない><「やろうと思えばやれたかもしれないのに、やらなかった」という悔いは、人生を終えようという間際にどれほど自分を苛むことでしょうか。>
迫力あるタイトルである。そしてこれは同感である。やってみて失敗したのなら自分自身納得する。しかしその時「やらなかった」ということは「後悔」する。過ぎ去った時間は取り戻せないのだからー。


オルフェウスの窓』という池田氏の漫画があるのだが、そこに同様のフレーズがあった。それは以下のようなものだ。

<人間というのは決して幸福になるためにこの世に生まれてくる訳ではないということだ。人間は、ただこの生を生きるために生まれてくるのだ。それを誤解して、幸福になることが人生の意味であるかのように思い込むところから、すべての苦しみが始まる。幸福になることを目標に置くことは決して悪いこととは言わないが、自分が幸福になるためにこの世に生まれてきたのだなどとは、ゆめ思わないほうがいい。そうすれば過度な期待を抱いて苦しむこともないだろうし、不当な仕打ちをした他人を恨むこともなくなるだろう>


「いったい自分は何のために生まれてきたのか、何を為して生きるべきか」という問いに十代の頃は悶々と懊悩する日々を過ごされたという。哲学科に入学されたのも頷ける。二十代、三十代は恋も結婚も子供も、人間として女として普通の人が手に入れるものは何もかも手に入れるのが当然だとも思いがむしゃらに生きていた。しかし、四十代になったとき、そのように考えていた自分の不遜さに卒然と気づいたという。その不遜さが、自分をどれほど苦しめていたかということも。そして「自分の存在など、何ものでもない」という答えを出せたという。そこから他人の評価も気にすることなく、つまらないことを思いつめるのもやめ、失敗も恐れず進んでいけたという。


迷いをふっきり自分の定めた道をひたすら進んでいく姿がなんともいえずカッコイイ。