シュテファン・ツワイク著 「ジョゼフ・フーシェ」 岩波文庫 

タイトルの下にーある政治的人間の肖像ーとある。

本書の著者ツワイクの作品を読むのは2作目。1作目は『マリー・アントワネット』(岩波文庫)であった。両者に共通しているのがフランス革命時の人物。著者による彼らの自伝的人間観察いや洞察であるということ。


著者がジョゼフ・フーシェという人物に注目するようになったきっかけはフランスの作家バルザックによる以下のような賞賛があったからだという。
<人々の上に権力をふるった点においては、ナポレオンさえしのいでいた>


バルザック政治小説『暗黒事件』のなかでは、「あまり知られていないこの陰気な、深刻な、そして異常な人物」に一頁をささげ、
<ナポレオンにさえ、ある種の恐怖の念を吹き込んだ彼フーシェのという特異な天才も、決して突如として出現したものではない。フーシェは当代における最もすぐれた桁はずれの人物であると同時に、また最も見誤れた傑物の一人であるが、この無名一介の国民公会議員は、大革命のあらしのうちにあって、後年見るような人物となったのあでる。彼は執政政府時代になって、先の見える人なら過去を察して未来を卜することができるような、高い地位に昇進したのである。(中略)この蒼白な顔をしたフーシェは、ひそかにこつこつと、政治的舞台の人間の事物と術策とを研究しつくしたのであった。彼ボナパルトの秘密にもくいいり、彼に貴重な情報や有益な勧告を与えていた。…彼の以前の同輩も、また新しい僚友も、この瞬間に、フーシェの天才の全貌を、もともと純官僚的な手腕のゆたかなことや、その先見の明の確かなことや、信じかねるほどの彼の炯眼を、誰一人として予測するものはなかった。>と述べている。


自分自身もジョゼフ・フーシェにはまったくもって興味はなかった。しかし本書の「はしがき」やらバルザックの人物評を読むと、フーシェという人は一体どういう人なのだろうという興味と関心を抱いてしまう。フーシェという人物は、<同時代の人々からは毛嫌いされ、後世から公平な判断を受けたことは少ない>という。政治的カメレオンというべく、自分の思っていること知りえた情報は一切自分以外の人には漏らさない。どんなに親しい人にさえも。またどんなに細かい情報でも徹底的に得る。そうできるように相手に対して自分は敵ではないということをアピールする。もし羞恥心のある人ならできることではないが、直前になって自分の考えを180度転換し相手を裏切る。まったく100%信用のできない人物なのである。


何度か浪人生活を送りながらもそのたびに声をかけられしかるべき職を与えられ、仕事に従事する。教師となったり公爵となったり日蔭の生活を送ったり大金持ちになったりとその浮き沈みが激しい。本書を読むとなるほどそういう理由からかということがわかる。


自伝というと「憧れ」や「賞賛」がつきものだが、この人物に限っては本書を読んで「こうなりたい」と思う人はいないのではないだろうか(いたらごめんなさい)。本当に地味で目立たない仕事であるし、政治の要職に就く人には大切なこと(機をみる、情報収集など)なのであろうが、ここまで裏方な人で自伝が描かれるということ自体が驚きといえば驚きである。しかもそれに対して憧憬ということはないしやろうと思ってもできることではない。


彼の生き方からなんら学ぶということはあまりないけれども、彼のような人がいるのだなあということを学ばせてもらった。また本書を読んで唯一の救いは、彼が家族を大切に思っていたということであった。


そして本書を読んでナポレオンについてもっと知りたくなった(笑)。