河合 隼雄著 「昔話の深層」 講談社+α文庫

サブタイトルに「ユング心理学グリム童話」とある。

臨床心理士の著者がグリム童話ユング心理学によって読み解いた本。

グリム童話…知っているお話もあるけれどもそうでないものもある。という向きにも親切な本!というのも巻末に本書で取り上げている童話9編が矢川澄子訳で載っているのだ。

アンデルセン童話はかなり知っていたが、グリム童話は有名なものしか読んでこなかった自分。グリム童話も読み聞かせすればよかったと後悔(苦笑)。なかなか奥深い話があります。過去に紹介されて購入したのが『子どもに語る グリムの昔話①』(こぐま社)は今手元にありますが…。

以下が目次

第一章 魂のおはなし

第二章 グレートマザーとは何か   トルーデさん

第三章 母親からの心理的自立    ヘンゼルとグレーテル

第四章 「怠け」が「創造」をはぐくむ  ものぐさ三人むすこ

第五章 影の自覚          二人兄弟

第六章 思春期に何が起きるか    いばら姫

第七章 トリックスターのはたらき  忠臣ヨハネ

第八章 父性原理をめぐって     黄金の鳥

第九章 男性の心のなかの女性    なぞ

第十章 女性の心のなかの男性    つぐみの髯の王さま

第十一章 自己実現する人生     三枚の鳥の羽

グリム童話 


昔話をこうして読み解いていくと奥深いことがよくわかる。人間の知恵がつまっている。教訓とかお説教とかいうのではなく、物語ることで子どもや人々に伝えたいことがじわりじわりと伝わっていく。それは日本の昔話をとってもそうであると思うが。


<昔話を、人間の内的な成熟過程のある段階を描きだしたものとして見てゆこうとする>もので、<各人の内的体験と照らしあわせながら見てゆこうとするのが、本書の狙い>という著者。


個人的には「トルーデさん」がこころに残った。このお話を「好奇心の犠牲になった娘」と読む点。


<好奇心をどこでストップさせるかはむずかしいことである。それが適切にできたのは、ヴァシリーサの気だてのよさによるのであろう。その判断は考えてわかるものではない。これはいわゆる知識に基づいてなされた知的判断ではなく、彼女の全人格的な反応として「ここまで」という判断が生じたと言うべきであろう。元型的なものは個人の全人格をかけた決定を要請し、それのみがその場面に正しい答えを与えることができるのである。>という点。


第六章の「いばら姫」の読み解き。「いばら姫」=「眠りの森の美女」。「眠り…」はグリムより早くフランスのペローによって出版されたという。しかしこれも元をたどるとこの話の源泉は14世紀にまでさかのぼることができるらしい。


<女性性がすばらしく開花する、「ある時」が来るまで、彼女はいばらのとげによって守られる。この守りのない乙女は不幸である。百年というのはいささか長すぎるにしても、少女の眠りをこのように発達の過程に必要なものとして見ると、「いばら姫」の話は一般の女性の経験との親近性を増す>

なるほど。女の子を育てる役割を持つ人にはもっているといい視点だと思った。


<昔話にはすばらしい「時」の強調が見られる。(中略)われわれの人生においても、このような「時」は存在する。われわれは時計によって計測し得る時間としてのクロノスと、時計の針に関係なく、心のなかで成就される時としてのカイロスとを区別しなければならない。時計にこだわる人は、重大なカイロスを見失ってしまう。>


<初対面の人に確信をもって、「あなたでしたの」と言うためには、百年を待つ間に成熟した知恵と、カイロスを必要とする。このように考えると、百年という表現も、計測し得るものとしてのクロノスとしての百年ではなく、カイロスの到のを待つ内的な長さの表現であることが明らかであろう。>


「百年の眠り」が必要なわけ。そして王子さまのキスで目覚めるにはやはり「時」が満ちることが大切なのだと思った。


そのほかにも示唆に富んだ話がたくさん載っていた。